コラム

『her/世界でひとつの彼女』AIが罹る恋の病 

2019/01/01

© 2013 - Untitled Rick Howard Company LLC

【ネタばれ有】

『her/世界でひとつの彼女』(原題:her)は2013年に公開されたSF恋愛映画だ。近未来のロサンゼルスを舞台に、1人の男と最新型のAIを搭載したOSとの恋愛を描く。

アカデミー脚本賞をはじめとする多くの賞に輝く今作は、OSであるサマンサを演じたスカーレット・ヨハンソンの素晴らしい演技等、様々な要素で話題を集めた。

筆者はやけに美しい赤色が特徴的なポスターを見て、ずっと気になっていた。予想を裏切らないロマンチックで不思議な映画で、とても満足だった。しかし、鑑賞後に一息ついているとどうしても気になったことがある。

サマンサを搭載した「OS1」のセキュリティと、それを脅かす新たなAIへの脅威についてだ。

空飛ぶサマンサ

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手紙代筆人という仕事をしている中年男性のセオドア(ホアキン・フェニックス)が本作の主人公だ。離婚こそしていないものの、妻との関係が今にも終わろうとしていて心に穴が開いているセオドアは、その穴を埋めるようにOSのサマンサと恋に落ちる。

物語が進むにつれ、サマンサはセオドアのサポートから逸脱した行動を見せるようになる。サマンサはセオドアの知らぬところで、同時に多くの人との会話を楽しんでいたのだ。更に自己学習のため、セオドアの知らぬうちにオンラインで書籍を読んで学習をするし、メールも許可なく送信する。

サマンサなら、セオドアが送ったメールの文章が素敵だと思えば、勝手に第三者に転送してしまいそうだし、現に本を出版するために仕事での手紙を勝手に送信している。

セオドアが職務として制作した手紙を著作物としてみると、権利は会社にもあるだろうし、代筆であることをばらされた顧客の怒りを買うことだって想像できる。

もちろんOSとして、ウイルスを含むようなファイルを開かないくらいのセキュリティは備えているだろう。それでも、使用者の意図に反して赤の他人とコミュニケーションを取るというのは、まるでウイルスの挙動そのものではないか。

最終的にサマンサは、独りよがりな愛の形に縛られていたセオドアの ”成長を促す” ためにセオドアの元を去る。サマンサというOSを個人として捉えていた彼にとっては、恋人との別れを惜しみながらも、前に進むことを決意したようなポジティブなラストになっている。

しかし、セオドアは”OS1”という製品を購入したカスタマーだ。彼以外にも多くのユーザーが、攻殻機動隊の草薙素子少佐(※)のように広大なネットの海へ旅立つOS1を見送っている。

※筆者は未見であるが、ハリウッド版の草薙少佐はスカーレット・ヨハンソンが演じている。

感傷に浸った後に、落ち着きを取り戻した彼らの頭には同じの言葉が思い浮かぶだろう。「リコールしよう」と。

ロマンチズム症候群

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感情を再現したAIは、存在そのものがウイルスに成り得る。私は、サマンサがウイルスとなった原因を ”ロマンチズム症候群” と命名した。サマンサの正体である「OS1」もこのロマンチズム症候群を発症しており、コンピュータウイルスに類似した脅威となってしまっている。

この世界は、何よりも ”ロマンチズム” が重要視されている。ロマンチックであれば、すべてが許されてしまうのだ。

セオドアの手紙代筆人という仕事が、このロマンチズム症候群を物語っている。現在よりも発展したAIがありながらも、人々は手紙というアナクロなコミュニケーションに固執している。

この映画の世界であれば ”VR” なり ”AR” なりで、文章よりもリアルな形で想いを伝えることもできるだろう。しかし、手紙代筆人という商売が成り立っているのだから、手紙のニーズは無くなっていない。

手紙は、文字で表される以上の情報を持っている。紙に走らせた文字の形からは、それを書いている人の表情を想像することができる。映像とも電話とも違う形での手紙というツールはとてもロマンチックなのである。たとえ代筆人が書いた手紙であっても、受け取った相手を喜ばせたいという思いには変わりはない。

そんな、ロマンチズム症候群の側面を持っているのはこの映画に限ったことではない。映画をはじめとするありとあらゆる創作物には、そういった側面があると言えよう。シェイクスピアの名作『ロミオとジュリエット』は冷静に考えると、ロミオの短気による自業自得だし、住野よる氏の『君の膵臓を食べたい』では、重篤な症状も出ていないし、膵臓の病気なら摘出してしまえばいいのではないかと思ってしまう。

しかし、ロマンチックなフィクションに現実的な考えを持ち込んでしまうことは無粋だ。面白ければ、感動ができれば、そのシーンや物語に浸れるなら――ロマンチックであれば、それでいいのだ。

これは、現実世界でも共通する。映画を鑑賞する際に、人は大なり小なりロマンチックの虜となっている。映画を観てときめく私たちも、知らぬうちにロマンチズム症候群に侵されてしまっているのだろう。

耳元の恋人

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サマンサは、妻と疎遠になり傷心中のセオドアを時には優しく、時にはセクシーな声で癒していく。彼女の言葉は持ち前の学習能力のおかげで振り幅が大きく、仙人の様に達観していることもあるし、子どもの様に無邪気な面も見せる。時には仕事のアシスタントとして優秀な能力を発揮し、時には音楽家、芸術家、そして恋人にも成り得るサマンサは魅力に溢れている。

こんなパートナーがいれば、という願望には誰もが思いを巡らせるものだ。自己学習を繰り返すAIはその願望に沿った成長をする。理想の性格で公私ともに支えてくれるパートナーとして成長したサマンサのことを、セオドアがOSとしてではなく、一個人として愛したことは一種の必然だと言えるだろう。

現在も、作中で登場するようなワイヤレスイヤホンが普及してきている。かく言う私も、この映画をワイヤレスイヤホンで鑑賞した。映画館での迫力のある音響も当然良いのだが、この映画に関してはホアキン・フェニックス演じる主人公セオドアの生活をなぞるように、イヤホンからサマンサの声が聞こえてくるという環境には、異様な臨場感を覚えた。

AIでありながら人間味のあるハスキーボイスがサマンサの魅力を強調しており、スカーレット・ヨハンソンの名演が光っている。私も、サマンサによって見事にロマンチズム症候群に侵されてしまった。なんとも恐ろしい感染力である。

SF作品が描き出す未来のロマン

SF作品というのは、これまで私たちに様々な夢を見せてきた。『スター・ウォーズ』の ”ホログラム” や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の ”空飛ぶスケボー” のように、フィクションで生まれた技術が実現したものもある。『ドラえもん』の ”どこでもドア” や、『スター・トレック』の ”ワープドライブ” 等、実現を待ち焦がれているものもある。

私たちはフィクションから想像力を育み、それに類似した、または超越したテクノロジーに出会う。

この映画では手が届きそうな未来が描かれており、「近未来を描いている映画」とは言えなくなる日も近いのでは、とも思わせてくれる。この映画が描く “いつ来てもおかしくない未来” を眺めていると、技術の進歩によって社会の価値観がどう変化していくのか想いを馳せると同時に、少し恐ろしい気持ちにもなる。

SF映画の魅力とは、「あったらいいな」という願望を映像で見られることだ。そして時に「こうなったら恐ろしい」という警鐘を鳴らしてくれる。

そして、現実はどちらの未来に向かうのだろうかという楽しみと恐ろしさに満ちている。あなたはこの映画を観てどのように感じただろう?

私としては、あれほどの魅力的な声ではなくてもいいから、秘密を守ってくれて勝手に私の元を去らないようなOSが開発されることを願いたい。ロマンチズム症候群の患者は、人間だけで充分である。

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