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ケイシー・アフレックはそろそろ幸せになるべき|『マンチェスター・バイ・ザ・シー』鑑賞雑記

2019/01/03

©2016 K FILMS MANCHESTER LLC

【ネタばれ無】

アクションが似合う俳優やセクシーな服装が似合う俳優が居るように、惨めで不幸な姿が似合う俳優というのも居る。ボストン生まれの俳優、ケイシー・アフレックは現在活躍している “不幸俳優” の最たる例だろう。

最近『バットマン vs スーパーマン』や『ジャスティスリーグ』でバットマンを演じて好評を得たベン・アフレックの弟である彼は、兄の様に派手なアクション映画で主演を張れる類の俳優ではない。

ケイシー・アフレックはどちらかと言うと、人間の闇や人生の理不尽さなど、この世の負の部分に焦点を当てた人間ドラマやサスペンスで悲惨な目に遭ってこそ真価が発揮される不幸俳優なのだ。

予告編では光が見えた

彼の不幸俳優としてのキャリアの皮切りとなった(と筆者は思っている)『ジェシー・ジェームズの暗殺』を機に、『ゴーン・ベイビー・ゴーン』や『ファーナス 訣別の朝』で精神的にも肉体的にも散々な目に遭っている。「この人ホントに脚本読んで映画選んでんの?」と思わんばかりの不幸っぷりだ。

クリストファー・ノーラン監督が「愛」をテーマに制作したSF超大作『インターステラー』においても、愛の輪から何故か微妙にハブられている。さすがノーラン監督、分かってらっしゃる。でも虐めないであげて。

そんな彼が出演している『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の予告を観た時、「ようやく彼も平穏を見つけた」と、私は胸を撫で下ろしたくらいだ。

本作の予告編では、孤児となった甥っ子を引き取り、ぎこちないながらも心を通わせていく主人公リー・チャンドラーの姿が紹介されている。この主人公を演じたのが、ケイシー・アフレックだった。唐突に息子のような存在が出来て、徐々に心を開いて行きそうな雰囲気。心温まる良い話感の塊じゃないか。

ところがどっこい、蓋を開けてみればケイシー・アフレック渾身の不幸俳優っぷりで、正直言ってもう一度見ようという気には当分なれそうにない。

頼むから本編でも幸せになってくれ

©2016 K FILMS MANCHESTER LLC

公開されていた劇場が限られていたため、銀幕で鑑賞することは叶わなかった本作だが、折よくPrimeビデオでの無料配信が始まっていた(※)。好機とばかりに本作を見始めたのだが、どうも序盤から雲行きが怪しい。マンションの管理人として便利屋のような業務を行う彼の姿を見ると、どうしようもない不安が脳裏をよぎる。

※本作は元々Amazonスタジオが制作したもの。

『シャッター・アイランド』のデカプリオ、あるいは『メメント』のガイ・ピアースのようだとでも言おうか。「過去に何かあったなコイツ」という匂いがプンプンするのだ。そしてシーンが移るごとに前後する時間軸。ケイシー・アフレックが幸せそうにしているシーンと、何かあっただろ感を醸し出すシーンが交互に折り重なっていく。あまりにも不穏だ。

それでも私は、頭に浮かぶ不安を必死に消し去ろうと孤軍奮闘していた。この映画で「ケイシー・アフレックは幸せになるべきだ」という欲望が実現すると信じて疑わなかった。そして物語は進み、予告編でも紹介されていた通り、孤児になった甥がリー・チャンドラーのもとに転がり込む。

「あ~やっぱ心温まる映画だこれ」って安心するじゃないですか、普通。孤独な男が孤独な子供と触れ合って、そんでなんか良い感じになる話だって思うじゃないですか、普通。

然れど、中盤からはもう怒涛の勢いで不幸な展開や不幸な過去が出るわ出るわ。「過去に何かあったな」という予想こそ当たってはいたものの、想像の斜め上を行くガチンコな不幸に筆者はドン引きである。さらに、その不幸に対してリー・チャンドラーの “責任” が問われないという状況も、余計に彼を追い詰めていく。

そして彼は、今目の前に居る甥と相対しても、幸せになろうという意思を頑なに見せない。それは、『ダンサー・イン・ザダーク』のような「お前なんでわざわざ自分が追い詰められるようなことするん?」という動機が不明瞭な行動では決してない。

彼の選択は、過去の不幸な出来事を経て彼が辿り着いた、論理的・倫理的な帰結である。それが罪滅ぼしをする上で正しい行いであるとは言い切れない。さらに言えば、彼の罪を問おうとする者なんて、少なくとも彼の周りには居ない。単に彼は、自分自身が許せないが為に、自ら足枷をつけているだけなのだ。

切なすぎるぞ、ケイシー・アフレック。

彼はいつでもどこでも不幸になれる

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』がケイシー・アフレックの不幸俳優としてのキャリアの中でも異質だったのは、彼が演じたリー・チャンドラーが、私たちの日常の延長線上に居ても不思議ではないようなキャラクターだったことだ。

今まで彼が重ねて来た不幸は、彼の周りにサイコパスが居たり、彼がサイコパスであったり、なぜか闇社会と関係を持ってしまったり、人類が絶滅しそうだったりと、非常に特殊な状況下で引き起こされたものだった。

しかし今回『マンチェスター・バイ・ザ・シー』において彼が演じたリー・チャンドラーは、どこか抜けているところもあるが、何の変哲もない男だった。美しい妻も子供も居る。ガラは悪いが友達だって居る。趣味も充実している。そんな普通の生活を送っていても、彼は不幸俳優という宿命から逃れることはできなかった。

彼はこの映画で、「いつでもどこでも不幸になれる」という事を証明してしまったのだ。

まさに不幸俳優の集大成とも言うべき大傑作『マンチェスター・バイ・ザ・シー』を、もし本当に気が向くのであれば、是非鑑賞して頂きたい。ケイシー・アフレックの不幸な姿は、きっとあなたの心に深い傷をつけるだろうから。

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そうた

編集を担当。ホラー映画やサスペンス映画など、暗めの映画が好き。『ジャーヘッド』を愛しすぎてHD DVDまで買ったものの、再生機器は未購入。山に籠って薪を割る生活を夢見ている。

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