たくさん映画を観ている人はどのように映画を選ぶのか
人よりも多く映画を観ていることを恥ずかしげもなく公言している私に、映画の選び方を尋ねる方がいる。別に変わったことをしているわけではないので、オタク・スマイルでお茶を濁すことが多い。その時ハマって観ている映画監督作品だったり(2021年は小津安二郎だった)、他人からの推薦もある。もちろん直感に任せたりもする。
直感。これは神からの授かり物ではなく、経験に裏打ちされた非言語的かつ論理的思考を瞬時に行っているに過ぎない。映画を楽しむ上でこの直感を鍛えるために経験を積み上げるのは難しい。私は退屈でしょうがない映画も最後まで等倍速で見続けることで、この直感を手に入れた。ときに私の眼球は矯正具のようなもので強制的に見開かれ、絶えず目の乾き潤す目薬を指し続けながら、である。
みなさまはこの記事で私の映画選びにおける直感の冴えを確認していただきたい。そして多少ではあるが映画鑑賞のコツも書けるかと思うので参考にしていただきたい。存分に巨人の、否、映画オタクの肩に乗ってくれたまえ。
映画は食事に例えるとうまく語れる
「映画は食事に例えるとうまく語れる」は私が辿り着いた映画鑑賞の到達であるので、今回もこの手法を用いる。食事における直感とは何か。これは知らない街での居酒屋探訪だ。店の面構えだけで、その店の良し悪しを判断して入店する。インターネットでの下調べなど野暮である。知らないタイトルの映画を見始めるときに必要な勇気は、一見で居酒屋の暖簾をくぐる時の勇気と似ている。
愛想のない大将、やかましい常連、煙草の煙で黄ばんだカレンダー、油が飛散しベトつくメニュー。そこで出会う奇跡のような旨さのハムカツをビールで流し込んだ瞬間に得られる喜びは、素晴らしい映画のシーンを目撃した瞬間と似ている。わかるね?
居酒屋探訪みたいに映画を観てみよう
12月某日。凍えるような師走の風の一切を遮断する断熱材に囲われたここは私の自宅。適当に朝食を済ませた午前9時過ぎから、私はテレビの前に座っている。体調はベストに近く、疲れも殆どない。すっかり映画鑑賞専用デバイスとなってしまったPS4とテレビの電源を付けて、私はU-NEXTのアプリを起動する。
本日の探訪はU-NEXTの端に位置するホラー・パニックジャンル市街。U-NEXTはこと映画において他の配信サービスを圧倒している。セレクションは海よりも深く、空よりも広い。今日案内するホラー・パニック市街は私が最も熱心に探索している土地だ。人肌の生暖かさと血液のすえた臭い、そして遠くで聞こえる断末魔の叫びが、まるで実家のような居心地の良さを感じさせる。
まずは洋画ジャンル側へ。一覧から眺めるとタイトルの他、アイキャッチとなる場面写真に加えて公開年と制作国が確認できる。私が得られる情報はこれだけ。ふむ。直感を冴えを披露するにはちょうど良かろう。私はポキリと手首を鳴らした。
さっそく新規入荷順にソートした。これにより映画がU-NEXTで新しく配信が始まった順に並ぶ。私はニヤニヤを堪えきれなかった。相変わらず新店舗が多いな。私が注目しているのは「新規入荷された旧作」である。新作が新規入荷されるのは自然であるが、旧作が新規入荷されるのには明確な理由がある。セレクトしたU-NEXT側の意思が感じられるのだ。こうした意思を汲み取れば、自ずと名作に辿り着くことが多い。
Newと掲載された作品を一巡し、私は比較的探索の最初から目をつけていた映画に決めた。この探訪における方向性を決める最初の一本である。
『狂っちゃいないぜ』(1999)
『狂っちゃいないぜ』の鑑賞理由
聞き覚えのないタイトルであったため。あとは「狂った映画であってほしい」との願いを込めてである。酒に酔っている人ほど「酔っていない」と言う、あの酒飲み理論を映画選びで実践してみた。
『狂っちゃいないぜ』のあらすじ
天才航空管制官のゾーンは仲間たちとスリルある仕事を楽しんでいたが、ある日現れた新人がゾーンを凌駕する技術を持っていたのだ。しかも若く美しい妻がいる。次第にゾーンはジェラシーをいだき始める。
『狂っちゃいないぜ』の感想
世界が自分を中心に回っているかのような男の隣に自分よりも優れた男が現れる。これはそっくりそのまま『トイ・ストーリー』だ。管制官に扮したウッディはバズ・ライトイヤーの妻を狙いだすので、随分と『トイ・ストーリー』に比べればアダルトだ。マスキュリニティの理解が進んだ現代ではこうしたホモソーシャルな映画は時代遅れだ。少し古い映画なのである。
禁忌を犯した色恋沙汰で神経をすり減らした男の成長物語。パニック映画としては物足りなさはあるが、作りは固くとても面白い。ジョン・キューザック、ビリー・ボブ・ソーントン、ケイト・ブランシェット、そしてアンジェリーナ・ジョリーという豪華俳優陣の共演も楽しい。
『狂っちゃいないぜ』を居酒屋に例えるならば
昔からある家族経営の居酒屋。常連たちとの会話が楽しく居心地がよい。食事の味は普通で、どこででも食べられそうなものばかり。
1本目を終えて
タイトルから想像されるような尖った映画ではなかったので拍子抜けしてしまった。通常の映画鑑賞で出会うともう少し評価は低かったかもしれない。しかしこうした奇跡的な出会いのおかげで映画体験としての付加価値を得ることができた。
鑑賞後に感想をまとめていると時刻は11時半ごろ。ラインナップは心なしか活気付いているように見えるが、それは私の妄想。人寄せのネオンの輝きが増している訳ではない。24時間映画は見放題なのである。そうここはU-NEXT。眠らない街、ホラー・パニック市街。
『生き人形マリア』(2014)
『生き人形マリア』の鑑賞理由
2本目のセレクトにはそれほど時間がかからなかった。1本目と趣向を変えて、今度はエスニックな映画に挑戦したかったのである。一覧から確認できる制作国より、エスニックでかつ見覚えのない映画を探すとすぐに辿り着いた。本作の制作国はフィリピン。再生ボタンを押す前から、異国情緒あふれる屋台が脳内に展開される。フィリピンには行ったこたねえんだけど。
『生き人形マリア』のあらすじ
遠足に向かう小学生を乗せたバスが橋から落下。乗客は全員死亡してしまった。子を亡くした3家族の元に訪れた怪しげな男が持ち込んだのは、子と同じ名がついた等身大の人形だった。
『生き人形マリア』の感想
フィリピンと言えばラブ・ディアスなどアート映画の偏差値が高いイメージがあったが、この映画の品質はあまり高くない。明らかに口と合っていないアフレコ、明らかに画素数の異なるカメラからの俯瞰ショット、間の悪いカット。さらにそれほど奇抜な脚本でもない。しかし鑑賞中には意外と退屈しないのである。それは濃厚なフィリピンの香りに満たされているからに他ならない。とっつきづらい偏差値の高さは感じられず、大衆的。
『生き人形マリア』を居酒屋に例えるならば
フィリピン人が経営する本場の味をそのまま提供する居酒屋。日本人好みの味に妥協しないストロングスタイルで異国情緒抜群。店の奥でスマホを触っているのは店の人? それとも客?
2本目を終えて
鑑賞後の疲労感を少し感じる。しかし探索をここでやめてしまうのは勿体無い。そもそも直感の冴えをいまいち発揮できていないような気がするのだ。「今日はこっちじゃなかったか〜」と、私は呟いた。負け惜しみなんかではない。2本とも面白い映画でした。
私は一度洋画ジャンルを離れ、邦画ジャンルに移行した。邦画ジャンルには特に馴染み深いJホラーたちがひしめき合っており、うっかり『呪怨 ビデオオリジナル版』を再生しそうになるが、ここはグッと堪えることにしよう。私はまだ観ぬ映画を掴まんとする冒険者である。
『怪談お岩の亡霊』(1961)
『怪談お岩の亡霊』の鑑賞理由
Jホラー以前の邦画ホラーは私にとっては未踏のジャンルであり、どれほどのものかよくわかっていない。正直に書けば有名なタイトルすらもわからない。やや敷居の高さすら感じていたのである。ええいままよ、60年前のホラー映画に挑戦してやろうではないの。どれも似たようなタイトルなので、最後は直感で選んだ。
『怪談お岩の亡霊』のあらすじ
騙されて売られた女を手に入れて、出世を目論む御家人。だが病に臥した女を死に追いやり別の女との婚姻をしようとしたことで、女に取り憑かれてしまう。
『怪談お岩の亡霊』の感想
当てました。鑑賞を始めてからすぐに「おや……?」と胸騒ぎ。私はタイトルをすぐに検索して小さく叫び声を上げてしまう。
この映画は加藤泰監督作品なのだ。加藤泰は1940年から1980年ごろに国内で活動した映画監督で、時代劇を中心に数々の傑作を産みだした。5年ほど前に初鑑賞の『みな殺しの霊歌』と、『沓掛時次郎 遊侠一匹』しか観ていないが、どちらも痛烈に突き刺さった。最近U-NEXTでの大量配信が始まり、今最も旬(私の中で)の映画監督と言っても過言ではない。とにかく多作であり、当然ながら全てのタイトルを把握しているわけではない。なので『怪談お岩の亡霊』にも気づくことができなかったのだ。嬉しい誤算である。
映画はとんでもなく面白い。加藤泰の持ち味とも言える極端なローアングルと被写界深度の浅いクローズアップからなる抜群の構図が冴え渡る。若き若山富三郎演じる、目も当てられないほどの悪行を働く御家人がそれはもう呪いでコテンパンになるのは痛快であり、そして同時に恐ろしい。ホラー映画としても十分に、十分すぎるほどに恐怖を感じられる演出なのだ。
『怪談お岩の亡霊』を居酒屋に例えるならば
知る人ぞ知る老舗料亭の暖簾分けとのまさかの出会い。こんなところで居酒屋やっとたんかワレ。厳選された食材が丁寧かつ大胆に調理された和食には辛めの日本酒がとにかく合う。
3本目を終えて
こういう出会いがあるから映画やめらんねえんだよな。鑑賞を終えた私は鼻高々であった。おすすめの映画を紹介するという記事としての撮れ高も確信したのである。あーあ、これで『怪談お岩の亡霊』も人気になっちまうなあ、と思ったが、映画は観ても観ても減らない。配信サービスならば行列もないのだ。便利な世の中である。
ここで映画鑑賞をやめるのは少し違う。時計を確認すると時刻は15時前。もう一本鑑賞してから早めの晩御飯にするとちょうどよい。時間を潰せるいい映画はないだろうか。私はまた洋画ジャンル側に戻り、適当にタイトルを眺めて1分ほどで決めた。
『サマー・シャーク・アタック』(2016)
『サマー・シャーク・アタック』の鑑賞理由
サメが出てきそうだから。
『サマー・シャーク・アタック』のあらすじ
休日に湖に訪れた一家が人喰いサメに遭遇する。
『サマー・シャーク・アタック』の感想
サメが出てきました。
『サマー・シャーク・アタック』を居酒屋に例えるならば
駅前の大衆居酒屋。300円のレモンサワーが一瞬で出てくる。椅子が硬い。
4本目を終えて
この記事で『サマー・シャーク・アタック』という映画をバカにする気など毛頭なく、むしろその存在意義を盛んに擁護したい。
オンライン配信サービスの台頭により、数多くの映画を自宅で鑑賞できるこの時代、無数に溢れるレビューやAIにより、面白い映画ばかりが鑑賞されている。鑑賞者がハズれを引かなくなっているのだ。だが面白い映画ばかり観ていて本当によいのだろうか? 皆が絶賛する美味しい食事だけでは飽きないだろうか? たまには駅前の大衆居酒屋に行きたくなるときはないだろうか? 学生時代の記憶を辿りながら、安酒に酔い、時間を潰す夜があってもよいはずだ。
映画にもメリハリが必要である。『サマー・シャーク・アタック』は傑作『怪談お岩の亡霊』の余韻を全く邪魔しなかった。それどころか、『怪談お岩の亡霊』が本当に良い映画であったことを再認識させてくれる。ありがとう『サマー・シャーク・アタック』。サメを倒す変な武器も含めて愛してるよ。
汝、映画を恐るるなかれ
居酒屋探報のような映画鑑賞を通じて、私が最も伝えたいテーマを見出しに据えてこの記事を終わる。
コスパばかりが優先され、映画鑑賞で2時間を無駄にすることを恐れている方があまりに多い。いいじゃんか、無駄にしても。人生において無駄じゃないことって、実はあんまりなかったりするし。無駄にする気で観始めた映画に救われたことが、私には何度もあった。
もっと適当に、直感を信じて映画を選ぼう。
本日の探報はここまで
映画好きも4本連続での鑑賞はさすがに疲れが溜まる。冷たいビールと温めた惣菜で今夜はゆっくりすることにしよう。そうだな、何か映画を流しながら。例えば『デス・プルーフ in グラインドハウス』でも……。