コラム

誰かに肯定されるということ 映画『ムーンライト』に学ぶ発達理論

2019/02/22

© A24 Films - All Rights Reserved

【微ネタばれ有】

『ムーンライト』(原題: Moonlight)は、2016年に公開されたアメリカ映画だ。第89回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞など3部門を受賞して話題を呼んだ。

黒人の同性愛者を描いたドラマであり、マイノリティのための映画だと感じる人もいるだろう。しかし本作はもっと普遍的なテーマ、「アイデンティティの模索」を描いている。

貧しくいじめられっ子な少年の半生を淡々と描く本作は、三部構成になっている。三部構成のタイトルはすべて主人公であるシャロンの呼び名になっており、その名前こそが、彼自身のアイデンティティを表すという秀逸な演出である。

そしてこの三部構成が発達心理学者のE・H・エリクソンの発達理論になぞらえたものである、という印象を受けた。

今回は発達理論についての解説を交えながら、この名作について考察していきたい。

発達理論とは

発達理論とは「人が生まれてから死ぬまでどういった発達をしていくか」という問いを追求する学問である。

多くの心理学者や教育学者達の理論があるが、今回は「アイデンティティ理論」を提唱したことで有名なアメリカの心理学者E・H・エリクソンの「ライフサイクル理論」を簡単に解説しよう。

エリクソンは、人間の発達段階を8つに分類した。

発達段階発達課題と危機重要な対人関係
乳児期信頼感vs 不信感母親
幼児前期自律性 vs 恥・疑惑両親
幼児後期自発性 vs 罪悪感家族
学童期勤勉性 vs 劣等感近隣や学校
青年期アイデンティティ vs アイデンティティの拡散仲間グループと外集団
初期成人期親密性 vs 孤立愛情・友情・競争
成人期世代性 vs 停滞性共同の家族と分業
高齢期自己統合 vs 絶望人類

発達段階には発達課題がある。発達課題とは噛み砕いて言うと、その時期に獲得べき心理的な課題である。「発達課題」と「危機」が「vs」で拮抗している状態であり、各段階で「発達課題」を獲得できなければ、「危機」に陥ってしまうこととなる。

表中の乳児期で説明すると、乳児は母親へ基本的な信頼を置いている。しかし、養育者が不適切な接し方を続けると、不信感に陥り、人を信用できなくなって社会の適応が難しくなる、というものだ。

エリクソンの理論では、青年期にアイデンティティを獲得することが特に重要だと言われている。アイデンティティの獲得とはつまり、「自分はどういう人間であるか」ということを認識することだ。

そして、誰も1人では成長することはできない。そのため各段階には、その発達課題を乗り越えるために重要な対人関係が存在する。

適切な対人関係、社会関係のなかで人は発達課題の葛藤を乗り越えて成長をしてくのだ。

Ⅰ.リトル 学童期

© A24 Films - All Rights Reserved

本作の主人公シャロンは「リトル」というあだ名で呼ばれている。体が小さく引っ込み思案の彼はいじめられている。また、彼の歩き方が “オカマ” みたいだということも、彼がいじめられてしまう要因のひとつだ。

麻薬に溺れる母親から十分な愛情を得られず、スクールメイトにもいじめられる彼には居場所がない。ただ1人、ケヴィンという友人はいるが、彼は大きな孤独を抱えている。

そんな彼とたまたま出会うのが、麻薬の売人であるフアン(マハーシャラ・アリ)である。

「劣等感」を抱えたシャロンは無口で、なかなか心を開かない。しかし、友人、そして父親のように接するフアンとの関係の中で、シャロンは次第に自分自身の居場所を見出す。

「自分の道は自分で決めろ、周りに決めさせるな」

そんな言葉をフアンはシャロンに伝える。フアンとの関係こそが、シャロンの発達を支える標になっていくのだ。

Ⅱ.シャロン 青年期

© A24 Films - All Rights Reserved

高校生になったシャロンの家庭環境は更に悪化し、学校でも相変わらず居場所がない。彼が頼れるのは、フアンのガールフレンドであるテレサと幼馴染のケヴィンだけだ。

彼は友人だったケヴィンに想いを寄せていく。これこそが彼の「アイデンティティ」形成の上での混乱期ともいえるだろう。

第2章では、孤独を抱えるシャロンが同性愛者としての自分自身を自覚していく過程が描かれている。彼を取り巻く過酷な環境は、あるがままの自分を肯定してはくれない。

そんな生き辛い環境の中で、彼はある事件に巻き込まれてしまうのだ。

Ⅲ.ブラック 初期成人期

© A24 Films - All Rights Reserved

大人になったシャロンは、「ブラック」という名で麻薬の売人をしている。この名は、ケヴィンに呼ばれていたものだ。

ひょろひょろだった彼は筋骨隆々になり、髭を蓄えてファッションはギャングスタイルになっている。屈強な風貌は昔いじめられていた自分自身を隠しているようだ。

高級車に乗り裕福になった彼だが、口数が少ないのは変わらずに、広い家で孤独に暮らしている。売人の仲間はいるようだが、発達課題に照らし合わせると、彼は「孤立」している。

本作を通してシャロンは、母親やスクールメイトに否定をされ続けてきた。黒人且つ同性愛者というマイノリティとして、社会からも否定されていると言って良い。

物語の終盤で、彼は今まで乗り越えられなかった発達課題に向き合うことになる。その過程については、是非映画を鑑賞して確認していただきたい。

誰もが求めるもの

© A24 Films - All Rights Reserved

どんな人でも普遍的に欲してものというものは何だろうか。それは「他者から肯定される」ことではないだろうか。存在を否定されて嬉しい人はいない。

誰もが周りの人に肯定され続けるというのは難しいものだ。ほとんどの人間がどこかで躓き、挫折を経験する。

勉強やスポーツでの競争に負けてしまうことや、仕事での失敗、失恋等、挫折には様々な形がある。そして、それは誰もが人生で経験するものだ。

挫折を経験したときに、人は自分の存在を否定されたと感じてしまう。そして、自分で自分を否定してしまうという負の連鎖が起きると、「アイデンティティの拡散」つまり、自分が何者か、どうなりたいのか分からなくなるという状態に繋がってしまう。

どんな人でも、肯定されることが幸せに繋がる。そのために、まずは自分自身を肯定することや、身近な誰かを肯定することが、今の厳しい社会に必要なことではないだろうか。

あわせて読みたい

-コラム
-, , ,

Copyright© Sabot House , 2024 All Rights Reserved.