【ネタばれ有】
人は自分の生活環境が変化したらどうなるだろう。例えば、自分がお金に困っている時に宝くじを当てた時のことを考えてみてほしい。
今までの価値観を大事にできるだろうか。私はあまりその自信がない。それまでの環境を疎ましく思い、変化したあとの環境に溺れた人間になるだろう。
いじめられっ子から英雄、人間から魔法使い。この大きな環境の変化の中、「ハリー・ポッター」はどのような道を辿るのだろうか。
その原点である『ハリー・ポッターと賢者の石』を振り返りながら改めてハリーというキャラクターについて振り返っていきたい。
世界的大ヒット作品であるハリー・ポッターシリーズ。原作者であるJ・K・ローリングは誰もが一度は夢をみた魔法を自由に使える世界を見事に作り上げ、世界中の人々を根こそぎ虜にした。
そのシリーズを見事に映像化した最初の作品が、『ハリー・ポッターと賢者の石』だ。文字とは違った映像美で魅せるファンタジーの世界に、大人も子供も夢中になった。
そんな本作は、今まで「自分はただの人間だ」と思い込んでいた11歳のハリーが自分が魔法使いであることを自覚し、課せられた運命に初めて立ち向かう物語である。
生き残った男の子と魔法界
魔法界は一個人を評価する際に、当人の出来の良し悪しよりも家柄を重視する。由緒正しい魔法使いの家の子か、そうでない家の子かで周囲からの扱いも変わる。
その対比を最もよく表している例は「ハーマイオニー・グレンジャー」と「ドラコ・マルフォイ」だろう。
ハーマイオニーはマグル生まれ(非魔法界の家系出身)だが優秀な生徒だ。マグル生まれという理由を付加されて褒められることもあるが、どちらかといえば、それを理由に度々騒動の中心となるし、マグルのくせにと陰口を叩かれている印象がある。
逆に純血のドラコは作中では小悪党のように描かれるが、歴史ある魔法使い一族の生まれで財力も権力もにあることから、学内で表立って彼に歯向かう生徒はいない。
彼が悪さをしようとも、周りの生徒は彼の「家柄」を恐れて、彼の悪行を黙認しているのだ。
では、主人公であるハリーはどうだろうか。
ハリー・ポッターといえば「生き残った男の子」として作中でも知られている通り、赤ん坊のころ、”例のあの人” によって両親を亡くした悲劇の主人公だ。
闇の帝王である ”例のあの人” を相手にたった一人生き残ったが、その後はマグルであるダーズリー家に引き取られる。
非魔法界で育ったため、ハリーは11歳の誕生日まで自分が魔法使いであるということはおろか、魔法界が存在することすら知らなかった。ダーズリー夫妻がマグルということも含め、ハリーの育った環境はマグル生まれと何も変わらないのである。
非魔法界育ちの彼は、マグル生まれの子のように肩身の狭い思いを強いられてもおかしくはない。
しかし、ハリーは「生き残った男の子」なので、魔法界では英雄視され、彼を知らない人はいなかった。彼は、日の目を見ないどころか、「どのような力がある子なのか」と何かにつけて注目されるようになったのだ。
ハリーは、マグルから魔法界の中でも特別な存在に転身したのである。
階段下の物置に住む少年
ハリーは魔法界の中では特別な存在だが、人間界ではそうではなかった。ダーズリー家は裕福な家庭であるものの、ハリーは階段下の物置に追いやられていた。
友達もおらず、年の近いダドリーには玩具のように扱われ、ダーズリー家の中に彼の居場所などなかった。
そんな環境で育ったハリーだが、心は純粋なままであった。動物園で蛇と共感するシーンがあるが、このシーンはハリーの優しさが描かれている。
ダドリーは蛇の飼育されているガラスケースを荒くたたくが、ハリーは自分と同じく狭い場所に囚われている蛇に優しく語り掛け、自分と似た境遇にある蛇にシンパシーを抱く。
ハリーが無意識に放った魔法によって蛇が脱走したときも、彼は多少驚きがながらではあったものの、蛇に「よかったね」と言葉をかけた。逆に蛇が飼育されていたガラスケースの中にダドリーが閉じ込められている姿をみてハリーは笑っていた。
このことからハリーは、共感したものには寄り添える優しさを持っていることと同時に、自身が快く思っていないものに対しては反抗的になる性質を備えていることがわかる。このハリーが快く思わないものというのは、彼にとっての悪になるのだ。
このハリーにとっての悪が、我々見てる側にとっての悪と凡そ一致しているため、彼は主人公たりえるのだろう。
強い心をもった少年
階段下の物置に追いやられていた少年はハグリッドと出会ったことで、自分は魔法使いだということと同時に、魔法界を脅かしていた悪をうち滅ぼした英雄であることを知った。
ハリーは人間界のはみ出し者から、魔法界にはその名を知らぬ有名人となったのだ。ハリーの環境は良い方向に大きく変わったのである。
自分が今まで持っていなかった力を手にすれば、中身の変わってしまう者もいるだろう。もし、ハリーが自分の正体を知る前の環境を激しく憎んでいれば、彼の価値観や性格は大きく歪んでしまっていたかもしれない。
しかし、ハリーは自分が特別だということを聞かされても、何一つとして変わらなかった。
例えば、組み分けの儀式の前にロン・ウィーズリーと仲良くしているところにドラコ・マルフォイが水を差すシーンがある。
ドラコは魔法族のヒエラルキーについて説明し、付き合う人間は選んだほうがいいと忠告するが、ハリーは「友達は自分で選べる」と答えている。
ハリーはドラコにダーズリー家の面影を感じたのか、嫌味ったらしい口調が気にくわなかったのかはわからないが、このことをきっかけにドラコに対して反抗心を抱くようになった。
また、飛行訓練の時に、ネビル・ロングボトムの思い出し玉をマルフォイが屋根に隠そうとするが、これにも真正面から立ち向かっている。このシーンは、ハリーの自身が快くおもわないものに対して反抗的になるという性質をよく表している。
ウィーズリー家はマグルへの考え方が少し普通の魔法族と違う。そして、ロングボトム家はネビルの両親が ”例のあの人” の手下であるデスイーターにひどい目にあわされた。
そのため、両家をあまりよく思っていない人たちは少なからず存在する。
前述の通り、両家の待遇はマルフォイから仄めかされている。それでもハリーは魔法界の中で不遇な扱いを受けるロンやネビル、ハーマイオニー等と親交を深めていく。
ドラコのようなハリーにとっての悪が、彼の友達や好いているものに対してよからぬことを企てようものなら、それらを守るために行動ができる正義感の強い心の優しい少年がハリー・ポッターというキャラクターだと言えるだろう。
愛するもののために
ハリーはホグワーツに入学しても、自分が人間であると信じていたころと同じスタンスで友人や魔法生物と関わっていく。その姿は、魔法界からみて時に不可解にみえることもあるかもしれない。
だが彼は、それに負けることなく主人公として立派に成長していく。
『賢者の石』で彼は、最初はマルフォイに立ち向かい、最後には “例のあの人” と対峙する。どちらも、自分が名声を得たいという理由ではない。彼の行動理由は、友達の危機であったり、学校の危機であったり、「他者のため」だ。
賢者の石が狙われているという話をホグワーツの先生達は誰も信じてはくれなかったが、ダーズリー家に居場所などない彼にとって学校が唯一の居場所であり、”家” なのだ。
居場所を守るために友達と共に勇敢に立ち向かい、見事に学校を救っている。ハリーは、作品をみてわかる通りなんでも万能にこなせる主人公ではない。彼は、自分が愛する何かのためであれば自身を顧みず危機に立ち向かえる男の子なのだ。
そんなハリーの物語だからこそ、多くの人を引き込み愛される作品になったのだと私は思う。