【『チェンソーマン』『バニラ・スカイ』のネタばれ有】
マンガ『チェンソーマン』を読み直す前に観ておきたい映画を1本だけ挙げるとすれば、筆者は間違いなく『バニラ・スカイ』を選ぶ。
『チェンソーマン』を語る上で欠かせない映画は色々あって――なんてことを、筆者と友人が運営しているPodcast「マンガ760」でユルく浅く紹介した。
テーマやビジュアル面で、本作が『悪魔のいけにえ』『ザ・レイド GOKUDO』など様々な映画から影響を受けていることは今更語るまでもないだろう。『シャークネード』や『武器人間』など明らかに特定の映画を意識したエピソードタイトルもあるくらいだ。
そしてこれらの引用には単なる "遊び心" にとどまらず、"物語に別の意味を与えている" ように思えるものもある。その例として顕著なものが『バニラ・スカイ』なのだ。
※これ以降、『チェンソーマン』と『バニラ・スカイ』のネタバレを含むので注意。
トム・クルーズとデンジ
『バニラ・スカイ』は2001年に公開されたアメリカ映画だ。主演をトム・クルーズが務め、脇をペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、カート・ラッセルなど豪華キャストが固めた大作……のはずが、原作となったスペイン映画『オープン・ユア・アイズ』ほどキレがあるわけではない「なんだか残念」な映画との評価が多かった覚えがある(ペネロペ・クルスがラジー賞「最低主演女優賞」にノミネートされてしまい、かえって話題になったが)。
本作は物語の展開面において『チェンソーマン』と幾重にも重なっているが、まず挙げておきたいのが「主人公が置かれる状況」だ。『バニラ・スカイ』では主人公のデイビッド・アダムス(トム・クルーズ)が交通事故に遭い、外的・心的な影響から夢と現実の境目がつかなくなっていく。しかし最終的にアダムスは、モネの作品「アルジャントゥイユのセーヌ川」のバニラ色の空のような夢の世界に甘んじるか、愛も金も失った辛い現実と向き合うか、究極の二択を迫られる。
『チェンソーマン』の92話「バニラスカイ」でも、主人公デンジは2つの選択肢に直面することになる。支配の悪魔であるマキマに命を狙われる中、反抗勢力に身を任せ「犬みてえに誰かの言いなり」になりながら生きるか、死の危険を冒してでもマキマと戦うか――まさに、アダムスと似た状況に立たされるのだ。
※以下、映画は『バニラ・スカイ』、92話は「バニラスカイ」と表記する。
「夢」という選択肢はない?
主人公が置かれた状況の他にも、コベニの「ヤな事がない人生なんて……夢の中だけでしょ……」というセリフが印象的なエピソードに「バニラスカイ」と名をつけた意図も気になる。
アダムスと違って「糞詰まったトイレん底に落ちてる感じ」と落ち込み、選択そのものから逃避しようとするデンジに対する一言で、迷えるデンジをさらに困惑の底へと叩き落とす鬼のようなセリフ。ただ、コベニの言葉を額面通り受け取って良いものだろうか。
というのも、『バニラ・スカイ』においてアダムスは、自分の思い通りになるはずの夢の中でも様々な不幸に見舞われるのだ。先に挙げた二択は「記憶を消して夢をやり直す」か現実と向き合うかを迫られるのである。アダムスが経験した不幸だらけの夢は、現実を選ぶ後押しにしかならなかった。
そして『バニラ・スカイ』を前提にコベニのセリフを読むと……「現実だって夢だって、辛さから逃れることはできない」と、デンジにとって最低最悪なメッセージが突きつけているように思えて仕方がない。
デンジはこれまで夢のような生活を「最高にバカだからバカみてえに」送っていたたが故に、夢が脆く崩れることを身を以て学んでいる。夢のような生活を送ったことがないコベニとは違い、夢が夢のまま終わってくれないことを知っているからこそ、デンジは人生につきまとう不幸を再認識し、絶望したとも読めるのだ。
いずれにせよ不幸との共存を強いられるのであれば、アダムスのように現実を選ぶのが "主人公らしさ" だろうが……型破りな主人公デンジは、考えること自体を放棄しようとしてしまう。
折よくと言うべきか、悲しきかなと言うべきか、そんなデンジが目にしたのは「チェンソーマン頑張れ」という主旨のテレビ番組だった。世間が作り上げた「チェンソーマン像」に初めて触れたデンジは、「チェンソーマンになりたい……!」と新たな夢を抱いてしまう。
夢に裏切られる辛さを知っているのに、「今回こそ本物の夢だ」と言わんばかりにまた夢を追ってしまうデンジ。結果的にマキマと戦うことを選んだから偉いんだけども、現実と向き合うためではなく新たな夢を追い求めるために戦ってしまうのが切ない。
このまま2部に突入したら、また心砕かれるのでは……。
甘さを引き立てるため
と、かなり暗い結論に行き着いてしまったが、蛇足ながら最後に明るい話をひとつ。『バニラ・スカイ』で繰り返し出てくるセリフに、以下のようなものがある。
The sweet is never as sweet without the sour.
『バニラ・スカイ』
(意訳:酸っぱさ無しでは甘さは引き立たない)
アダムスの友人のセリフで、不幸に見舞われながらも幸せを探そうとするアダムスはこの言葉を反芻することになる。
ここで思い出してもらいたい。マキマの計画を。デンジの心を折るためだけに幸せを与え、目の前で全てぶち壊した悪魔のような計画を。デンジは『バニラ・スカイ』のセリフの真逆、「酸っぱさを引き立たせるために甘さを与えられていた」のだ。
というより、デンジが本当の酸っぱさを知った後に上記のセリフが繰り返し登場する『バニラ・スカイ』が引用されたわけだ。つまり、逃げたくなるような二択に直面したデンジに対して「辛さを知っていれば幸せも大きくなるよ」と語りかけているように解釈できる。
2作は様々な点で重ねられるため「正しい解釈」がどこにあるのかは藤本タツキ先生に聞く他ない。だが、「バニラスカイ」は逃れられない不幸を突きつけつつも、不幸は無駄ではないと伝えようとしているのではないか。少なくとも筆者には『バニラ・スカイ』の引用が「デンジに幸あれ」と背中を押しているように思えて仕方がない。
1部が完結し、ようやく人並みの幸せを手に入れたように見えるデンジだが、果たして2部ではどうなることやら……。デンジに幸あれ、と祈るばかりだ。