コラム

『LOGAN/ローガン』が示したR指定映画の可能性

2019/01/09

© 2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

【ネタばれ有】

「ヒュー・ジャックマン、最後のウルヴァリン」と銘打って2017年6月1日に日本で公開された『LOGAN/ローガン』(以下、LOGAN)。

ウルヴァリンやプロフェッサーXといった往年のキャラクターの "終焉" を描いた本作は、「アメコミ映画であっても、地に足の着いた力強い物語が紡げる」ということを証明した。X-menシリーズでは珍しくR指定を受けたLOGANは、R指定映画の特権を最大限に活用することで、登場人物に奥行きを与えているのだ。

『デッドプール』を契機に大きく舵を切った『X-Men』シリーズ

『LOGAN』の物語について触れる前に、「R指定映画」について少し説明しておこう。アメリカではMPAA(アメリカ映画協会)、イギリスではBBFC(全英映像等級審査機構)、日本では映倫(映画倫理委員会)がそれぞれの基準をもって映画を審査する。映画の描写や言葉遣いによって、国ごとに年齢制限が設けられるというわけだ。

そして『LOGAN』は、アメリカでR指定を受けている。MPAAが定めるR指定とは、卑語(特にFワード)や残酷な描写、性的描写などが含まれるため、「17歳以下は保護者の同伴が必須」になる映画のことだ。

X-menシリーズのR指定映画といえば、2016年に公開された『デッドプール』が記憶に新しい。デッドプールは、下品なジョーク、過激でユーモラスな暴力描写、そして性的描写をふんだんに詰め込み、大いに人気を博した。

『LOGAN』は、そんなデッドプールの後を追うように制作されたため、公開前は「デッドプールの成功を真似てR指定で作られた」と揶揄されることもあった。ところが、映画が公開されてからは、そんな声もなりを潜めることになる。なぜなら、LOGANはR指定の描写を、デッドプールとは違った方向性で役立てたからである。

「普通の人」として描かれた元ヒーロー

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『LOGAN』を鑑賞していて一番印象的だったのは、R指定ならではの「言葉遣い」だ。字幕や吹替ではあまり目立たないかもしれないが、かなりの頻度で「Fワード」が飛び交う。うだつの上がらない中年オヤジとなったウルヴァリンはアルコールに溺れ、頻繁に"Fuck"と毒づくのだ。シリーズ屈指の「良い人」であったプロフェッサーXですら、Fワードを使う始末。しかし、X-menシリーズでは珍しいFワードの多用は、彼らを「一人の人間」として見せることに一役買っている。

『LOGAN』の世界では、ウルヴァリンもプロフェッサーXも、普通のヒーロー映画では考えられないくらい老いている。プロフェッサーXは認知症のような状態で、今までのシリーズで見られたような知性や包容力は皆無に等しい。そして主人公であるウルヴァリンは、そんなプロフェッサーXを介護しながら、リムジンの運転手として生計を立てているのだ。

そんな彼らが溜息の代わりに漏らす悪態は、日頃から感じているストレスの吐露以外の何物でもない。『LOGAN』に登場する彼らは、理想を追い求めて闊歩するヒーローではなく、私たちと同じようにもがき苦しみ、時には人にも当たってしまう「普通の人」として描かれている。

彼らを「普通の人」として描くことで、『LOGAN』のテーマのひとつである「継承」が、より現実味を帯びたものとなる。ウルヴァリンとプロフェッサーXは、活躍し続けるヒーローでもなんでもなく、私たちと同じように歳を取り、衰える。彼らがX-menシリーズを去らなければならない理由として、これほど説得力のあるものはないだろう。

そして、私たちのように人生に苦しむことのできるウルヴァリンが主人公として描かれているからこそ、彼が「次の世代」であるローラ達を守る姿に心打たれるのだ。

"死" を授けられたウルヴァリン

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過激な言葉遣いが目立つ『LOGAN』だが、暴力描写も今までのX-menとは一線を画している。ウルヴァリンは、シリーズを通して「暴れ馬」として活躍してきたが、過去の作品でウルヴァリンが行使する暴力は、あくまでも "アクションシーン" として描かれていた。死んでいく人々は名もなき人々で、ウルヴァリンが腕で一薙ぎするだけであっさりと、血すら流さずに死んでいくことが多かったのだ。

しかし、今回の『LOGAN』では、ウルヴァリンが暴れる度に彼が人を“殺している”ことを、嫌でも認識することになる。それは、本作の暴力描写が「ヒーロー映画のアクションシーンだから」と逃げ腰にならず、ウルヴァリンが暴力を行使するとどういうことが起きるのか、カメラが一部始終を捉えているからである。

ウルヴァリンに秘められた暴力性を如実に表しているのが、彼がホテル内の敵兵士を次々と殺していくシーンだ。プロフェッサーXの能力(というより発作によって暴走した力)によって誰も動くことができない中、ウルヴァリンだけは辛うじて動くことができる。そして彼は、抵抗することができない兵士の頭を次々と突き刺していくのだ。私たちは、彼の爪が人の頭蓋を貫抜く瞬間を、そして彼の爪が穿った穴から血がしたたり落ちる様子――何のオブラートにも包まれていない "暴力" ――を見ることになる。

しかしこれらの暴力表現は、単に「娯楽」を生み出す装置として以上に、物語の重みにもかかわる重要な要素である。ウルヴァリンが人に与える「痛み」を妥協無く描くことで、彼自身が感じる「痛み」にも焦点が当たる。というのも、LOGANにおけるウルヴァリンは、体内に埋め込まれたアダマンチウムの毒性により、かつてほどの再生能力を有していない。いつものような "無敵のヒーロー" ではないのだ。彼が殺してゆく敵と同様、彼自身も痛みを感じ、血を流し、そして死んでしまう存在なのである。

『LOGAN』では、ウルヴァリンは「死ぬかもしれない一人の人間」存在だ。だからこそ、命を懸けてローラ達を守る彼の覚悟に、私たちは涙することになる。

様々なジャンルに挑戦しつつあるアメコミ映画

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「LOGAN』は、アメコミが原作でありながら、さながらウエスタン(特に『トゥルーグリット』)のような泥臭さい世界の中で、人生を諦めかけている中年男の最後の正念場を見事に描いた名作だ。

アメコミ映画は、かつては子供向け、もしくは子供な大人向けの映画だと思われている節があった。ところが最近では、映画業界が培ってきた多様なジャンル特有の「美学」を吸収し、キャラクターの方向性に合致した「個性のある」映画が増えつつある。例えば『キャプテンアメリカ/ウィンターソルジャー』はスパイスリラー映画のような緊張感があり、『アントマン』はビジュアルコメディ映画のような娯楽性がある。

ジャンルを飛び越えながら、様々な世界を見せてくれるアメコミ映画が続々と公開されるような時代に生きている私たちは、アメコミ好き、映画好きとして非常に幸せだ。『LOGAN』は、そのことを再認識させてくれた映画でもある。

余談:乳は余計だった?

記事内で触れなかったが、『LOGAN』ではR指定映画ならではの "女性の乳" を拝むこともできる。ウルヴァリンが運転するリムジンの乗客が酔っぱらい、度胸試しか悪戯か、「運転手さん、見て」と胸元を露わにするのだ。

女性の乳を見て残念になったと言えば嘘になるが、『LOGAN』におけるこの描写は正直言うと余計だったように思える。さながら、製作者が「せっかくのR指定だし、乳も出しとこう」と言わんばかりの、やっつけ仕事のようだった。

しかし、この乳に多大なる意味を見出す人も少なからずいるようである。曰く、「ウルヴァリン笑顔を見せることはほとんどないが、乳を見た時は少し笑っている」のだそう。ずっとしかめっ面をしているウルヴァリンが見せる、数少ない「普通の人らしい表情」ということだろう。

確かにその主張は一理ある。しかし、そんな安っぽい(ともすればダサい)描写よりも、もっと別のことでウルヴァリンの人間性を表現することもできたのではないかと思ってしまう。

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そうた

編集を担当。ホラー映画やサスペンス映画など、暗めの映画が好き。『ジャーヘッド』を愛しすぎてHD DVDまで買ったものの、再生機器は未購入。山に籠って薪を割る生活を夢見ている。

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