【ネタばれ無】
どこか不気味な雰囲気が漂う学園ホラー映画『K-12』を観て元気づけられるとは、思いもしなかった。
『K-12』は2019年9月6日(金)にアメリカの一部劇場で公開され、同日からYouTubeでも配信されているホラーミュージカル映画だ。監督と主演を兼任するのは、ポップミュージシャンでもあるメラニー・マルティネス。
本作を観て元気づけられたというのは、決してホラー映画好きが作品の瘴気に当てられてかえって元気になる類の物ではない。本作が伝えんとしていることが、私の心に刺さりまくったからだ。
本稿では彼女の紹介も絡めつつ、本作の魅力をお伝えしていきたい。
メラニー・マルティネスは一体何者なのか
『K-12』で描かれる世界はパステルカラーで彩られている。表面的には可愛らしくてポップな環境なのだが、時折ダークな一面が垣間見える。
ポップさとダークさの両立というのは、メラニー・マルティネスがミュージシャンとして人気を博している理由の1つでもある。彼女の音楽はいわゆる「最先端のポップ」で聞きやすく、なおかつ歌詞には彼女の思考がダイレクトに(そしてダークに)表現されている。
彼女は「The Voice」というアメリカの音楽オーディション番組で注目されてから、独特な世界観を武器に着々と同世代の共感を得てきた。
彼女のこだわりは、ファッションと楽曲のみに留まる訳ではない。マルティネスは以前から自曲のミュージックビデオを監督しており、映像表現においても独特な世界を描いてきた。
そんな彼女が今まで描き続けてきた世界を1本の「映画」という形に落とし込んだのが『K-12』という訳だ。
「何かがおかしい」マルティネスの世界
『K-12』の舞台となるのは、「K-12」(ケー・トゥ・トゥエルブ)という名の寄宿学校だ。
※K-12(ケー・スルー・トゥエルブやケー・トゥエルブとも)は、アメリカで幼稚園(Kindergarten)から高校3年(12th grade)までの教育期間を指す言葉。
メラニー・マルティネスの空想をそのまま具現化したようなパステルカラーの本校は、まるで綿菓子のような優しい雰囲気に包まれている。だがマルティネス演じる "クライ・ベイビー" は身体的な特徴や特殊能力を持っている事から、周囲に馴染めず……。
と、一見ありふれたストーリーのように感じるかもしれない。だが面白いのは、私達観客からすれば登場人物のほとんど――ひいては『K-12』の世界全体――が異質な物のように感じるという点だ。
言葉を変えると、『K-12』はマルティネスが現実とはかけ離れた所に創り上げた世界であるにも関わらず、マルティネス自身がその世界に馴染めていないのである。
この構図のおかげで、観客はクライ・ベイビーが覚える違和感に共感することができるし、まるで悪夢を見ているかのような「この世界は何かがおかしい」という不安に駆られることになる。
本作を通して突き付けられる違和感と不安が恐怖に昇華することは殆ど無い。ホラー映画としては、かなり中途半端な演出と言わざるを得ないだろう。
しかしこの中途半端さこそ、本作のメッセージが私に刺さった最大の理由でもあったのだ。
ボディシェイムを受ける人への応援歌
「恐怖は無いが、周囲と合わない中途半端な違和感」が私の記憶の中の学園生活と共鳴したのは、自然なことかもしれない。
ここで少し個人的な話をすると、私は中学に上がった頃から髪が曲がり始め、中学2年生になったあたりからは完全に「天パ」キャラが定着していた。
高校に入ってからは薄っすらと髭が生え揃えたため、「天パ」「髭」キャラという二足の草鞋を履く羽目になった。虐められてこそいなかったが、かなり頻繁にからかわれていたのは余り良い思い出ではない。
クライ・ベイビーも「前歯に隙間が広い」という身体的な特徴のせいで、入学初日からからかわれることになる。とは言え彼女も虐めらている訳ではなく、学園生活を共にする仲間だって居る。
スクール・カーストの中で頂点でも底辺でもない中途半端な位置に居るが為に、何か得体のしれないモヤモヤ感を覚えたことがある人は多いはずだ。身体的な特徴を揶揄される経験なんて、誰にでもある。私だってそうだった。
そして映画から漂う中途半端な不安に共鳴した私達に向かって、クライ・ベイビーはこう言う。「どんな見た目だって構わない」と。ボディシェイム(身体的特徴の揶揄)を受けるのは、間違っていると。
マルティネスは自身のコンプレックスだったであろう前歯の隙間を見せてまで、ボディシェイムを受ける人たちを応援している。体を張ってまで応援歌を贈る彼女のメッセージは、彼女の世界に共感を覚えていた私に刺さらない訳がない。
まとめ
『K-12』はポップな見た目のサイコホラー映画だと期待し過ぎると、ホラー成分の少なさに肩透かしを食らってしまう。ホラー映画としては中途半端な作品であることは認めよう。
構成も映画というよりは長いミュージックビデオという方がしっくり来るし、ストーリーも釈然としない部分が多い。言うなれば、様々な部分で中途半端だ。
ただその中途半端さがかえって功を奏し、メラニー・マルティネスが描く違和感に説得力を持たせているとも言える。ホラー映画に似つかわしくないポジティブなメッセージは、何かしらにコンプレックスを抱いている方の多くが共感できるだろう。
学生時代に観ていれば……と思いを馳せずには居られない映画であることは間違いない。