コラム

『キング・オブ・コメディ』人は何故サイコパスな映画を見てしまうのか

2019/02/10

© 1982 20th Century Fox Home Entertainment

【ネタバレ有】

サイコパスという言葉をご存知だろうか。他者への思いやりが欠如していたり、自己中心的で道徳に外れた行動をする傾向にある、パーソナリティ障害の一種だ。今回紹介する作品の主人公は、サイコパスと呼ぶに相応しい。

『キング・オブ・コメディ』(原題:The King of Comedy)はマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演で1982年に制作されたアメリカ映画だ。ブラックコメディとして紹介される本作は、コメディアン志望の青年の狂気を描いている。

スコセッシとデ・ニーロは、『タクシードライバー』に『グッドフェローズ』、それに『カジノ』などの名作を世に送り出してきたコンビだ。この2人がタッグを組む映画が面白くないわけがない。その例に漏れず、本作もやはり名作だった。

今回は主人公のルパート・パプキンの行動や性格を通して、サイコパスとは何かを考えていきたい。それを通して、私達にも類似した傾向、つまりサイコパスな部分が見つかるかもしれない。


サイコパスとは

ICD-10やDSM-5という疾病分類では、非社会性人格障害、或いは反社会性パーソナリティ障害という病名である。

ICD-10において、非社会性人格障害とは、以下ような定義が示されている。


非社会性人格障害

社会的義務の無視、 他人の感情に対する無関心を特徴とする人格障害。その行動と世間一般の社会規範との間の著しい不釣合いが見られる。行動は、 罰等を含む経 験によっても容易には修正されない。 欲求不満への耐性が低く、暴力などを含む敵意 の表出のいき<閾>値が低い。 他人を非難したり社会と摩擦を引き起こすような自分 の行動に、 もっともらしい理屈づけをする傾向がある。
人格(障害): ・無道徳 ・反社会的 ・没社会的 ・精神病質的 ・社会病質的

出典:厚生労働省ホームページ「疾病、傷害及び死因の統計分類」より 

もちろん、サイコパスに分類される人が犯罪者ばかりというわけではなく、犯罪に手を染める割合はごく小数である。例えば、経営者や政治家として成功している人には、こういった傾向を持つ人が多いとも言われている。

この作品を見た方なら、非社会性人格障害、いわゆるサイコパスの定義にルパート・パプキンが当てはまることは理解いただけるだろう。

コメディアンを目指すサイコパス

© 1982 20th Century Fox Home Entertainment

ルパート・パプキンは、人気コメディアンのジェリー・ラングフォード(ジェリー・ルイス)の熱狂的なファンで、強引に彼に近づく。ネタのテープを持ち込むものの、ジェリーのマネージャーからは、光るものはあるが経験不足だと出演を断られている。

その後も、コメディアンとして舞台に上がれるようにストーカーのようにジェリーにつき纏い、彼の別荘へ招待もされていないのに勝手に足を踏み入れるのだ。怒りを露わにして別荘を追い出すジェリーに、パプキンは逆上する。

現実と妄想の区別がつかない彼に悪意はなく、自分の才能を発揮する舞台を求め、ジェリーの番組に出演したくて取ったの行動なのだ。

「経験を積んで芸を磨く」という行動をパプキンは取ろうとはしない。番組への出演を断られたことを認めようとせず、事務所に乗り込んでジェリー本人を探して警備員につまみ出されてしまう。挙句の果てにはジェリーを誘拐して、強引に番組出演を果たすのであった。

ここで、非社会性人格障害の定義を振り返ってほしい。上記の記述だけでも以下の傾向がはっきりと現れている。

  • 一般の社会規範との著しい不釣り合い
  • 罰を含む経験にも修正されない行動
  • 欲求不満への耐性の低さ

しかし、この映画はブラックコメディと呼ばれている。スリラーと紹介する場合もあるようだが、一般的には恐怖を感じさせるであろう狂気が笑いも生み出しているのだ。

コメディとホラーは紙一重

笑いと恐怖が似ているという話がある。人は予測の範囲を超えたサプライズに笑い、時には恐怖する。同じような場面の切り抜きであっても、見方を変えればホラーにもコメディにも成り得るのだ。この映画のワンシーンを一例として挙げてみよう。

© 1982 20th Century Fox Home Entertainment

このシーンは一見大喝采を浴びるスターを映しているように見える。これで笑い声が入っていたら完璧に愉快なコメディにしか見えないだろう。しかしカメラが引いていくとどうだろう。

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理想の観客の前で妄想するコメディアン、或いはアートを鑑賞する一個人にも見えるだろう。この映画の場合では前者なのだが、同じ場面でも見方によって印象ががらりと変化する。このように、コメディとホラーは隣り合わせなのだ。

ちなみに、映画での実際のこのシーンでは、観客たちの写真の前で漫談を披露するパプキンのカットである。彼が夢中で漫談を披露する中、観客の笑い声が絶えない。この笑い声が、パプキンのネタの笑い所とは合っていないようで、妙に気味の悪いシーンに仕上がっている。

『キング・オブ・コメディ』は、大袈裟に恐怖を煽るような演出をしていないため、コメディとしても、ドラマとしても、又はサイコスリラーとしても楽しめる作品に仕上がっている。しかし、もし実際にパプキンのような人につき纏われたと考えてみて欲しい。恐ろしくて、とても笑ってはいられないだろう。

犯罪にまで走ってしまう人間と関わりたくないというのが人情だ。しかし、サイコパスや犯罪を描いた映画を好んで鑑賞する人もいる。好んでいるとは言えなくとも、そういったテーマの作品がお気に入りの1つである人は少なくないと思う。では、なぜそういった作品に惹かれてしまうのか考えてみよう。

誰しもがサイコパスの素質を秘めている?

1982 20th Century Fox Home Entertainment

本作のラストシーンは、獄中で執筆したパプキンの著書がベストセラーになり、出所後に彼が冠番組を持つことが描かれている。このラストシーンが現実か妄想かという議論があるそうだが、監督のマーティン・スコセッシは回答を拒否している。

このシーンが妄想か現実であるかはさておき、サイコパスな人間の著書を持ち上げ、熱狂するような出来事は現実とはかけ離れているものだろうか。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』という映画では、犯罪歴のある主人公の半生を描き、世界で約3億8000万ドルもの興行収入を叩き出している。

『羊たちの沈黙』や『セブン』、『アメリカン・サイコ』等の映画にもサイコパスが登場しており、その物語のファンも多い。なぜこうした作品に観客は魅かれるのだろうか。

自分には出来ない行動や抑圧された感情を、フィクションを通して楽しんでいるからではないだろうか。フィクションを楽しむことは罪にならないし、映画での犯罪を模倣したいとも思わない。しかし、そうした逸脱したキャラクターに羨望の念を抱くことはないだろうか。

サイコパスの傾向の1つに挙げられる “一般の社会規範との著しい不釣り合い”。つまり、どこかで逸脱した行動を取ってみたいという願望や妄想をすることは、誰しもが経験していると思う。しかし、そういったことを実現するにはリスクが大きすぎる。

スクリーンの中の出来事だから純粋にフィクションを楽しみ、日常のフラストレーションを昇華させることができる。自分自身の現実とは隔離されているため、エンターテイメントとして楽しむことができる。本作でもテレビの中のルパート・パプキンに魅了された民衆が彼を持ち上げたことも、そういった心理が働いているのではないかと考えられる。

スクリーンの向こう、或いはTVや小説の中のサイコパス達をフィクションとして楽しむ感性があるということは、自分には持っていない登場人物の性格に魅力を感じるからだろうか。もしくは、人は誰しも自分の中に眠るサイコパスな面を持っているのかもしれない。

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