ハリウッドで売れっ子監督になるためには、アクション映画が一番の近道。
これは、超大作の制作を目指すクリエイターたちの間でまことしやかに囁かれていた話だ。事実、ユニークなアクション描写を買われてハリウッドデビューした監督は枚挙に暇がない。
2019年2月22日(金)に日本で封切られた『アリータ:バトル・エンジェル』(原題:Alita: Battle Angel)の監督を務めたロバート・ロドリゲスも、そうした監督の1人だ。
メキシコ系アメリカ人の彼は、12歳の時に『ニューヨーク1997』を観て「絶対に映画を作ってやる」と決意。それ以来、映画狂としての人生を歩み続けている。
『アリータ』は彼の映画人生の集大成とも言うべき作品だが、「どこにロドリゲスみを感じれば良いの?」と疑問に思っているロドリゲス初心者の方も多いだろう。
そこで今回は、『アリータ』で見られるロバート・ロドリゲスらしさを簡単に紹介したいと思う。
特別な力を持った女の子
『アリータ』の予告編はかれこれ1年近くも劇場で流れていたのだから、今更あらすじを長々と説明する必要は無いかもしれない。
念のため簡単に紹介しておくと、ゴミ捨て場に棄てられていたサイボーグの女の子が新しい体と「アリータ」という名を得て、恋をしたり悪と戦ったりするお話だ。
実は ”特別な力を持った女の子” は、ロドリゲス監督が初めて制作した短編映画『Bedhead』の主人公でもあった。こちらの短編の主人公はサイボーグではなく、頭を打ってサイコキネシスに目覚めた少女となっている。
『Bedhead』の製作費は400ドル。当時の彼にとっては大金だったそうだ。脚本にも、さぞ思い入れがあることだろう。
初監督作品と同じ “特別な力を持った女の子” を主人公に据えてハリウッド超大作を監督したロドリゲスは、原作こそある作品なれど、きっと「自分が本当にやりたかったこと」をやってくれたに違いない。
体の一部がなくなっても強く生きる
アリータはサイボーグであるが故に、肉体に替えがきく。よしんば敵に四肢を破壊されたとて、たいした痛手ではないし、なんなら各部を改良して出直してくるようなタフさだ。
「体の一部がなくなっても強く生きる」というのは、ロドリゲスが監督してきた他の作品にもよく見られる展開だ。
例えば『エル・マリアッチ』では、主人公が手を撃たれて義手になるが、変わらず旅を続ける。その続編『レジェンド・オブ・メキシコ』では、あのジョニー・デップが両目を潰されてしまうのだが、それでも銃で敵を殺し続ける。
『プラネット・テラー』では失った右足の代わりにアサルトライフルを取り付け、「失った分、強くなって帰ってくる」という美しき様式美が完成される。
体の代替がきくという設定だと、「別に替えがあるんでしょ」と思われてしまい、観客は人体の破壊に衝撃を受けなくなってしまう。しかしロドリゲス監督なら、「さらに強くなって帰ってくる」という荒業をやってのけるのだ。
主人公がサイボーグである『アリータ』は、まさにロドリゲス節が炸裂する格好の舞台と言っていいだろう。
ポーズがヤバい
ロドリゲス監督のアクションはユニークだ……と千の言葉を尽くすよりも、この記事のカバー画像を改めて観てもらえれば一目で分かるだろう。
ユニーク以外の何物でもない。
先に挙げた『エル・マリアッチ』と『レジェンド・オブ・メキシコ』を繋ぐ作品『デスペラード』の1シーンなのだが、なんとクライマックスの銃撃戦の最中にこの男がこのポーズをとるのである。
肩に掲げたギターケースからは、ロケットランチャーが射出される。もう発想がぶっ飛びすぎていて、スタイリッシュという言葉が適切なのかも分からない。
『Bedhead』でも俳優たちの動きや目線が独特だったが、こうしたポーズへのこだわりはロドリゲス監督のこだわりの賜物なのだろう。多分。
『アリータ』でも、そのこだわりは十分に活かされている。アリータは “機甲術(パンツァークンスト)” と呼ばれるサイバネティクス格闘術を習得しているのだが、さすがロドリゲス監督だけあって、その構えは溜息が出るほど美しい。
ひとつ文句を言うなら、『デスペラード』を超える衝撃のポーズが出てこなかったことだろうか。近しいものは一瞬出てきたが。
まとめ
ロドリゲス監督の映画を中学生の頃から追ってきた筆者は、『アリータ』を観て「ロドリゲス監督、楽しかっただろうな」と、映画とは別のところで感動してしまった。
ストーリーこそ好みが分かれるだろうが、アクションシーンには今回紹介したようなロドリゲス監督のこだわりが詰まっている。
ロドリゲス監督はユーモアにあふれ、オバマ元大統領に料理を振舞ったほど芸達者な男。本稿の題をあえて「入門」としたのは、そんな彼のプロフィールや逸話をまとめた記事をきちんと執筆したいと考えているからだ。
今回はホントに、まだ序の口だぞ。