【ネタばれ有】
2018年4月27日(金)に『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を鑑賞し、直後の土日を魂の抜けた人形のように過ごした方は多いだろう。
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の19作目にして、シリーズ史上最もファンたちを絶望の淵に追いやった同作。宇宙最強のハルクをも軽くあしらう最凶の敵 “サノス” が全宇宙の半分の生命を消し去るエンディングには、誰もが喪失感を覚えずにはいられない。
だがひとつ言わせて欲しい。このエンディングは、裏を返せば「徳の高いサノスさんのおかげで半分 “も” 生き残れた」ということに他ならないのだ。
本稿では、サノスさんの徳がいかに高いか、そしてサノスさんに生かされた我々が考えなくてはならないことを語っていきたいと思う。
より最悪の結末もあり得た
まずサノスさんが如何に徳が高いかという点を明らかにするために、6つのインフィニティ・ストーンを揃えた「インフィニティ・ガントレット」がサノスさん以外の人間の手に渡った状況を考えてみて欲しい。
今作でも何故か登場したレッド・スカルが手にすれば、世界はハイドラの奴隷となるだろう。『マイティ・ソー バトルロイヤル』で出てきたヘラならば、絶大な軍事力をもってして他の惑星で虐殺を続けるかもしれない。
逆に、正義の味方の手に渡っても利己目的の使用は免れられない。本作を観た方々なら、スター・ロードが罪なきソーを消すことは想像できるはずだ(ガモラに怒られてソーを生き返らせるだろうが)。
アイアンマンにしたって、地球の平和を脅かす異星人が居れば、徹底的に排除するに違いない。地球人の身としては嬉しい限りだが、これも利己行為に他ならない。
サノスさんの立場なら、彼が欲望の塊であれば「自分を崇拝しないものは消す」だったり、「恋愛対象以外の生命を全て消す」といった事だってできたわけだ。
ところがサノスさんは「無作為に選んだ半数を消す」ことにこだわった。彼の目的は限られた資源とそれを消費する生命の均衡を取り戻すことで、その過程で手に入れられる如何なる “役得” にも手を出さなかった。
これを徳の高さと言わずして何と言おう。
私たちが考えなくてはならないこと
そして徳の高いサノスさんが事を成した今、私たち人間は「世界の半分の生命が消えた」という事実と向き合わなくてはいけない。
ここで重要なのは、私たち人間は、心持ちひとつで物事を否定的にも肯定的にも捉えられる能力を持っているということだ。半分水が入ったコップを見て「半分しか水が入っていない」と思うか「半分も水が入っている」と思うかは、いつだって私たち次第だ。
私たちが今回の事象を捉える時、その方向性は大きく分けてふたつ。ひとつは「半分も殺しやがって」と復讐に燃え、憎悪と共に生きていくこと。そしてもうひとつは、「半分 “も” 生き残れた」と考えて我々の生き方を見直すことだ。
様々な映画でも言われていることだが、復讐を果たしたからと言って失われた命が返ってくることは無い。過去を変えること叶わぬ世の中なのだから、後者の方がより前向きに生活を送ることができる。
サノスさんの大粛清だって、年貢のように毎年やってくるわけでは無い。私たちが自粛し、限られた資源を公平に分け与える状態を保っていれば、サノスさんはその平穏を脅かすようなことはしないのだ。
私たちがサノスさんの成し遂げた事を最大限に活かす道は、サノスさんの想いに従って繁栄のあり方を見直す以外にあるだろうか。
アベンジャーズはサノスさんの徳の高さを超えられるか?
ところがどっこい地球のとある団体は、「復讐(アベンジ)」を果たさんとして何やら画策しているようである。
私の話を聞いて下さった方々なら、彼らの活動が如何に不毛であるかは十分に理解できるだろう。もちろん、彼らのような気持ちになってしまうのも理解はできる。崇高な目的とは、得てして万人には理解し難いものだ。
Twitterを覗いていると彼らを信奉している方々も少なからず居るようなので、ここで問うておきたい。
彼らは、サノスさんの徳の方さを超えられるだろうか。自己の利益を棄て、全銀河における最大多数の最大幸福の何たるかを追及することができるだろうか。
より具体的な話をしよう。
世界の資源は有限で、それは変えようのない事実だ。たとえスーパーヒーローたちでも、無限の資源を生み出すことはできない。
アベンジャーズが万が一にもサノスさんを倒すことがあったとしよう。失われた半分の人達が生き返ったとしよう。すると、どうあがいても有限の資源の取り合いが勃発する。誰かが腹を空かしてゴミを漁らなくてはならなくなる。
果たして彼らは、この状況がサノスさんが作り上げた世界よりも良い、と皆を説得できるのだろうか。
アベンジャーズたちががサノスさんの徳の高さを超えられるのか、2019年4月26日に公開される『アベンジャーズ/エンドゲーム』でじっくりと観ることにしよう。