【ネタばれ無】
大人になると、ふとしたきっかけで "幼少期のトラウマ" と出くわしてしまうものだ。
私もまさか、自身が最も心の安寧を得られる映画館で幼少期のトラウマに対峙しようとは思いもしなかった。
それはとある土曜日のことだ。なんとなく映画が観たくて映画館に足を運んだものの、『アナと雪の女王2』や『ジュマンジ/ネクスト・レベル』などの話題作は妙な時間にしか上映していない。かと言って髭面の野郎1人で『午前0時、キスしに来てよ』を観るのはあまりぞっとしない。
スケジュール帳とにらめっこして作品を絞り込む。その結果最も時間的な都合が良かったのが……2019年12月13日(金)から公開されている『映画 ひつじのショーン UFO フィーバー!』(原題:A Shaun the Sheep Movie: Farmageddon)だった。
子ども向けクレイアニメ作品の一体何が "子どもの頃のトラウマ" に繋がるのか? 何を隠そう、私は「ウォレスとグルミット」シリーズに底知れぬ恐怖を抱いて育ったのである。
ウォレスへの底知れぬ恐怖
子どもというのは、よく分からない理由で何かに恐怖心を抱くことがある。
読者諸賢も子どもの頃に何故か恐れ慄いていた物が一つや二つあるだろう。私は特に怖がりな子どもだったので "幼少期のトラウマ" が数え切れない程ある。その一つが「ウォレスとグルミット」シリーズなのだ。
私は如何にして人畜無害極まりない「ウォレスとグルミット」に恐怖心を抱くようになったのか。ブラックボックスに詰め込まれていた記憶を掘り起こし、子どもの頃に抱いていた形容詞し難い感情をなんとか分析するに、おそらく全ての原因はウォレスにあると見て間違いない。
このご時世にこんな事を言うのも憚られるが、彼の顔がめちゃくちゃ怖かったのだ。グルミットは現実世界の犬と殆ど変わらない見た目なので何の違和感も感じなかったが、ウォレスはデフォルメが過ぎて造形が人間離れしている。
しかも、シリーズではたまに彼の顔に深い影が差す瞬間がある。言葉だと伝わりづらいかもしれないが、要はこういう状態だ。
単に照明の都合でこうなったとしても、子どもの私に「このおじさんは実は悪い人なんだ」と思わせるには十分な "演出" だ。一緒にシリーズを観ていたお父さんやお母さんが「面白い人やね~」と笑顔で語りかけてくることも、かえって私の疑念に拍車をかけた。ウォレスは懐に入るのが上手いタイプの悪人なんだ、と。
もちろんこんな支離滅裂な説を信じてくれる友達は居ない。悪人なんて居ないはずの子供向けクレイアニメに裏切られ、周囲にも裏切られたとの絶望感が私のトラウマ体験を作り上げたのだ。
ひつじのショーンも正直怖かった
「ウォレスとグルミット」シリーズでサブキャラとして登場したひつじのショーンに対しても、トラウマが無かったと言えば嘘になる。
もうこっちはウォレスのついでに何となく怖かっただけだ。ショーンにしてみれば単なるとばっちりで、正直スマンとしか言えない。
言い訳させてもらえるのだとしたら……子ども向け作品では「黒=悪」の構図を使うことが多でしょ? ほら、ショーンって羊なのに黒いじゃないですか。コナンの犯人を何となく怖がるのと一緒ですよ。
まぁとにかく、『映画 ひつじのショーン UFO フィーバー!』を観るために私が乗り越えなくてはならない障壁の高さを理解頂けただろうか。
想像してみて欲しい。映画館で様々な作品の上映作品を調べた挙げ句、行き着いた唯一の作品が "幼少期のトラウマ" だったら。映画館のロビーには、トラウマのショーンのポスターも掛けられている。まるで心を見透かすような目だ。
私は震える手でチケットとポップコーンを購入した。
近くの子どもに励まされる
いつもなら映画館の前方に陣取る私も、今回だけは無意識的に後方の席に取った。
公開されたばかりの子ども向け作品というだけあって、周りは親子ばかりだ。私だって親と一緒に来れば良かった。
ここまでくると、何でこんなに怖がっているのか自分でも分からない。上映が始まり、周囲の子どもたちから歓声が上がる度、私は自分のトラウマがどんどん馬鹿らしくなってきた。
スクリーンに移るのは、白いモコモコを着込んだコナンの犯人ではない。ただの純真な羊じゃないか。
近くの子どももショーンにつられて笑っている。「ショーン、危ない!」と心配の声も掛けている。「かわいい」という声援すら飛んでいる。周囲の子ども達の素直な感性にあてられて、私のトラウマもどんどん形を崩していく。
あの恐怖心は小さい頃の私の勘違いに過ぎなかったと、数十年後にようやく気付かされたのだ。
台詞が無いからこそ
『映画 ひつじのショーン UFO フィーバー!』では、「ひつじのショーン」シリーズに倣って台詞らしい台詞は出てこない。ひつじのショーン目線だから人間の言葉は "鳴き声" で、その意味は観客の解釈に委ねられている。
トラウマのことしか頭に無かった物語序盤はショーンのやること為すこと全て悪事にしか見えなかったが、周囲の子ども達から勇気を貰って鑑賞を続けるうちに「コイツええ奴やんけ」とすら思い始めた。
悪人だと思っていたショーンが友達の為に体を張るシーンに異常なまでのカタルシスを味わえた……が、これは恐らく私くらいなものだろう。
妙ちくりんなトラウマを抱いていたせいでロクな紹介が出来なかったが、台詞が無い映画を体験できる機会はそう多くはない。
子どもを連れて、もしくは私と同じく幼少期のトラウマを連れて、是非劇場に足を運んでもらいたい。