2016年6月18日、ジャパニーズホラーファンの記憶に一生残り続けるであろう作品が公開された。日本を代表するホラーシリーズ『呪怨』と『リング』において世界を恐怖のどん底に突き落とした2体の化け物が直接対決する『貞子vs伽耶子』だ。
これまでも、『フレディvsジェイソン』や『エイリアンvsプレデター』のように、ホラー映画界隈の巨頭たちによるクロスオーバー作品は多々存在していた。どう考えても白い粉を勢いよく吸ったプロデューサーが昏迷状態で閃いたアイデアのようにしか思えないが、名前を出すのもアレな粉や草が路地裏で売られているようなアメリカだから、耳を疑うような発想が出てきても当然と言えば当然だ。
※ハリウッド映画等に基づく筆者の偏見による推察。
翻って、『貞子vs 伽耶子』はどうだ。妙な粉も草も入手困難な日本で、どんな輩が言い出した企画なのだろう。この映画が製作されたという純然たる事実は、訳の分からない化学物質に頼らなくてもぶっ飛んだ発想ができる優秀な(?)クリエイターが日本に存在するという何よりの証拠ではなかろうか。

とにかく私は、『貞子vs伽耶子』を観に行く事にした。どんな薬にも頼らずこの映画を生み出した人物の頭の中を垣間見たい一心で。しかし私が深淵を覗く時、深淵もまた私を覗いていたのだ――。

友人Sと観に行った物証だけは揃っている
私には、大学の時からの友人であるS氏と共に『貞子vs伽耶子』を観に行った記憶が鮮明に残っている。場所は越谷レイクタウンのイオンシネマだ。15時頃から始まる回のチケットを買ったので、映画が始まる前に適当な店に入ってステーキを頬張った。
上映中、周囲の中高生は悲鳴を上げていたし、彼らの悲鳴と時を同じくして私とS氏は腹を抱えて笑っていた。鑑賞後に「一番怖かったのは、ヒロインの両親が中の下な顔なのにヒロインがハーフみたいな顔立ちだったことだよね。絶対お母さん不倫したよね」と熱く語り合った事だって、はっきりと覚えている。
その時のチケットは未だに保管してあるし、鑑賞後に浮かれて買ったコップのフチ子然とした『貞子vs伽耶子』のフィギュアは、職場のデスクで今も項垂れている。
私の『貞子vs伽耶子』に関する記憶は、「友人と楽しく映画を鑑賞した」という至極一般的な物だ。その記憶は私の頭の片隅に確かに存在するし、上記のような物証も十分に揃っている。
問題は、「クソ映画同好会」の名の下にSNSの奥底で密かに活動している私の同志、わかめ氏とあずき氏の主張だ。
「俺たちと観に行っただろ」と30分近く馬鹿にされる恐怖
『貞子vs伽耶子』の公開から2年ほど経った2018年8月、私はわかめ氏・あずき氏の両名と共にとある映画を観に行った。その折に、話題が『貞子vs伽耶子』へと向いたのである。
「あの映画はそうただけが楽しんでいたよな」という言葉に、私は耳を疑った。私は彼らが同映画を楽しめなかったことに驚いたのではない(もちろん、それも十分に問題なのだが)。彼らが私と共に『貞子vs伽耶子』を観に行ったような口振りで話を進めていたことが信じられなかったのだ。
私は恐る恐る、両氏にS氏との記憶を説明した。すると2人して「ついにボケが始まったか」と大笑い。正直に告白すると、私はここで既に泣きそうになっていた。だが自分の記憶が間違っているとは、簡単には受け入れられない。

私がS氏と語り合った内容を詳細に説明しても、「同じことを自分たちにも言っていた」と取り付く島もない。確かに、2人が同様に記憶を違える可能性はあまり高いとは言えないが……。
以降、30分近くに渡って「そうたの記憶がいかに不確かか」という点について、やけに熱い議論が交わされた。要は二人とも、この機会に日頃の鬱憤を晴らしたかっただけである。だが叩かれている私は気が気でない。何せ、「お前は記憶を失くすようになった」と延々と言われ続けるのだから。
幾ら頑固な私と言えど、自分の脳に異常が出始めたのではないかと思うようになってしまった。
全ては “呪い” のせい
記憶力の低下について散々罵られた挙句、「物忘れが激しい人ほど自分の物忘れを認めない」という逃げ場のない主張を突き付けられ、私は窮地に陥った。だが私の頭はやはり衰えてなどいなかった。最後の最後になって、今回の騒動を丸く収められる説明を閃いたのである。
「呪いのせいで、世界線が入り乱れたのでは?」
『呪怨2』をご覧になった方は覚えているだろうか。伽耶子は呪いの力で、時間の流れをバラバラにしてしまった。彼女ほどの力があれば、「私がS氏と映画を観に行った世界」と、そのパラレルワールドである「私がわかめ氏・あずき氏と映画を観に行った世界」を混ぜ合わせることなど、朝飯前なはずだ。私がそう説明すると、2人が初めて諦めの表情を見せた。
勝てる。私はそう確信した。
私が追い打ちをかけるようにパラレルワールドについて不必要に長い講釈を垂れていると、あずき氏が降参したかのように折衷案を提示してきた。
「2回観に行っただけなんじゃないの?」
一見、誰にとっても気持ちの良い解釈にも思える。しかし、私は一貫して否定の姿勢を貫いた。何故なら、私は確信を持ってこう言えるからだ。
2回観に行くほど、私はこの映画を気に入っていない、と。

斯くして、私を中心とした並行世界が入り乱れてしまうほど、強力な呪いを持つ本作。そもそも「呪いと呪いをぶつけたら上手いこと相殺されるかも」という大胆なテーマを掲げた作品であるだけに、私も次に受ける呪詛(ホラー映画)を精査しなくては……。
呪いと呪いをぶつけたらどうなるか、私自身を実験台に今後も調査及び報告をしていきたいと思う。
