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「似たような映画が続く」欠点を逆手に取ったユニバースの形『アベンジャーズ/エンドゲーム』

2019/05/01

© Marvel Studios 2019

【ネタばれ有】

MCU(※)は、似たような映画が続くから退屈。そんな批判を耳にしたことがある。

※MCU:マーベル・シネマティック・ユニバースの略。『アベンジャーズ』系列の一連の映画のこと。

2008年に公開されたMCU初の映画『アイアンマン』より11年、2019年4月26日(金)に公開された『アベンジャーズ/エンドゲーム』(原題:Avengers: Endgame)は、実に22本目の作品となった。

『スター・ウォーズ』シリーズを超えて、世界歴代1位の興行収入を誇るMCU作品群も、22作品も続いていれば、否定的な意見のひとつも出るだろう。

だが、MCUが "似たような映画" を続けたことは、シリーズの集大成である『エンドゲーム』を観た今となっては賢い選択だったように思える。

むしろ『エンドゲーム』は、長寿シリーズの欠点である "マンネリ化" を逆手に取った、革新的なユニバースを形作ったのだ。

定期的に作品を横断しないといけない足枷

© Marvel Studios 2019

どんな映画製作会社もドル箱となる “ユニバース” を立ち上げたがっている。

ビジネス的な捉え方としては、売れた映画の続編を出したがるのと同じだ。製作会社としては、売れる見通しがついている映画なら喉から手が出るほど欲しいものだ。しかもそれが1本2本ではなく何十本もの映画群となれば、会社の将来は安泰ということである。

だがクリエイターからしてみると、続編(もしくは同世界を舞台にした別作品)の製作が決まっていることが、時に足枷となる。「良い物語」ではなく「次作に続く物語」を求められることは、ユニバースという形の最大のデメリットだろう。

事実、『アベンジャーズ』『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の監督と脚本を務めたジョス・ウェドンはこの足枷に苦しめられたクリエイターの1人だ。アベンジャーズ一同が集結する作品としてスケールの大きな物語を描きつつ、後に続く作品の為の土台作りをしなくてはならない。

『エイジ・オブ・ウルトロン』を以てMCU作品の監督から降板した彼の苦労を知ってか、多くのファンが「彼に必要なのはハグだ」と彼を労ったほどだ。降板が大々的に取り上げられたのはウェドン監督くらいだが、製作会社との折衝の辛苦を味わったクリエイターが他にも多く居たであろうことは想像に難くない。

「同じ世界」だから雰囲気が似るのは当たり前?

© Marvel Studios 2019

冷たい言い方だが、そのような裏側の苦労もほとんどの観客には関係のない “内輪もめ” でしかない。観客の目当ては製作者たちのゴシップではなく、映画そのものだからだ。

先の章で述べたようなビジネス的な意図も孕んだシリーズは、「続編が何作も出ること」を大前提として製作されているため、各監督が好き勝手にクリエイティビティを暴走させるわけにはいかない。

その結果、「似たような雰囲気の映画が何本も出来上がる」というのは、極めて当然だろう。同じ世界を舞台にしており、(今のところ)全てヒーローもので、ターゲット層も同じ。これで「全く雰囲気の異なる映画を作れ」と言う方がおかしい。

もちろん、ジェームズ・ガン監督が『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でコメディとシリアスの絶妙なバランスを見つけたり、スコット・デリクソン監督が『ドクター・ストレンジ』でオカルト味あふれる異世界の描写を作り上げたりと、MCUと監督の得意とする土俵が見事に合致した好例もある。

だが意地悪な見方をすると、「ヒーローが困難を乗り越えて成長する」という大きな軸は一貫しており、誰もが予想だにしなかった物語が展開される訳ではない。

こうしたことを加味すると、「似たような作品が続く」という批判はある程度的を射ているのかもしれない。

背負うものが同じだからこそ、アツい

© Marvel Studios 2019

斯く言う私も「マーベルって同じことばっかりやってるよね」どころか、「ヒーローものって大体ストーリー同じだよね」とすら思っていた不埒な輩だ。

『スパイダーマン:スパイダーバース』でも触れられていたように、ヒーローは必ず親や親友の死に直面する。そして悲しみを乗り越えて、個人的な感情を乗り越えた大義を見つける。様式美とも言えるお約束の展開だが、やはり何度も観てしまうと飽きが来るものだ。

だが、『エンドゲーム』を鑑賞して考え方が一転した。MCUは、ヒーローたちが似た苦しみを背負っているからこそアツいのだ、と。

大切な人を失ったり、大切な人の命を脅かされたことがあり、その苦しみを乗り越えて来たヒーローたちだからこそ、同じ目的の下に団結することができる。同じ苦しみを知っているからこそ、他の人の為に自分を犠牲にすることができる。

苦しみを分かち合える彼らが肩を並べて徳の高い悪人サノスさんと戦うからこそ、私たち観客はアクションの中に見えるヒーローたちの心の機微に涙を流してしまうのだ。

似たような映画を作り続けたからこそ

© Marvel Studios 2019

そしてそのアツい絆で結ばれたヒーローたちが活躍する為に必要なのが、「誰一人として違和感なく溶け込める世界」だ。ここで、MCUがひたすら “似たような雰囲気の映画” を作り続けて来たことが活きてくる。

アイアンマンがトラウマに悩まされても、ソーがボイスチャットでクソガキを脅しても、キャップのケツがネタにされても、サノスが時空を超えて地球に乗り込んで来ても違和感が無い世界。

よくよく考えると、これらの展開全てが自然と折り重なっていることは奇跡に近い。コメディとシリアスの両端を行き来するマーベルの方向性は一長一短で、コミカルなシーンがシリアスさを台無しにしたり、その反対もまた然りだからだ。

各キャラクターがそのバランスを保ちつつ、それでいて単体の映画とキャラクターが変わらない。これは、マーベルが “似たような雰囲気の映画” を作り続けて来たことを、作品の欠点ではなく魅力に昇華したことに他ならない。

『エンドゲーム』はアベンジャーズの勝利を描いた作品であると同時に、「マンネリ化だ」との批判を耐え続け、11年間かけてユニバースを育て上げた製作会社、そしてクリエイターたちの勝利を象徴する映画なのである。

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そうた

編集を担当。ホラー映画やサスペンス映画など、暗めの映画が好き。『ジャーヘッド』を愛しすぎてHD DVDまで買ったものの、再生機器は未購入。山に籠って薪を割る生活を夢見ている。

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